新井英樹「せかい!! ―岡啓輔の200年―」ツイッターと行間

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新井英樹「せかい」
「出来ない」ってのはこういうこと。

以前の記事の続きです。

「せかい!! ―岡啓輔の200年―」では合間合間に主人公の岡啓輔さんのツイッターでのつぶやきが挟まれています。 岡啓輔@OkaDoken「でも、この時土地を買って1年半過ぎたけど、ボクは自身を持てないまま怖くてドローイングすら出来ずにいた」 こんな短い言葉ではその苦悩の深さは伝わってこない。でも、新井英樹さんの表現を解すると左の画像みたいになり、苦しみと焦りが伝わってきます。 店主も一応ツイッターをやってるんですが、下手なことをしゃべると予想外な反応(主に攻撃的な)が帰ってきて結構怖いです。うまく使う人もいるんでしょうけど。 ツイートだけでは背景まではつかめない。この読み切りで新井英樹さんはツイートされる岡さんの言葉の背景には、いかに多くの出来事やそれを取り巻く感情があるかを表現してます。確かに、ネットの普及で発言の機会は増えて、ネットの世界は様々な人の様々な意見が飛び交うようになりました。量だけは確かに増えたけど、それらの言葉はそれを裏付ける背景が切断されてしまっている。この切断はテクニックの問題ではなく、ツイッターというツールそのものに孕むものように店主は思います(切断の作用が働いているのはツイッターだけではないですけど)。 この作品を読むとネットの普及で情報は増えたけど、その背景というか、人間が生きている事実みたいなものは逆に言葉から消え去っているのじゃないかと思いました。

新井英樹「せかい」
でも今昔から繰り返された・・・
別な「利権(ゆめ)」「再開発(みらい)」が蟻鱒鳶ルに立ち退き移動を迫っている
それは「受け継がれる物語」なんでしょうか?

どんどん世界が利潤と効率で埋め尽くされて、人間が生きていける場所ではなくなってきている感じがします。福島第一原発観光地化計画の東浩紀さんもそうですけど、岡啓輔さんも利潤と効率とは違う原理で未来を継いでいこうとしている人。最近の漫画を見ていると、ほんとこの社会に可能性なんか残されてないんだなと絶望するのですが(社会が絶望的だから、輝いている作品もありますが)、1000兆円を超える借金を抱えた日本でどんずまりの金の論理ではない、人の原理で未来を考えられる人は本当に稀少です。こういう未来が描く言葉でネットが満ち溢れればいいのですが、現実は悪意の増幅装置だからな・・・

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